神話から見るリアルな古代史 独自の王国・古代尾張

出雲神話には登場しない古代尾張

愛知県が『古事記』『日本書紀』などの日本神話に登場し始めるのは、 初代天皇である神武天皇以後で、それ以前はあまり登場しない地域です。 では何もない地域かと言うと、そうでもありません! 古代日本史研究を大きく変えた遺跡が愛知県にはあるんです!

日本最大級の集落跡・朝日遺跡

名古屋駅から北に向かうと、織田信長の居城だった清州城があります。 その清州城のすぐそばにあるのが、今ページの主役・朝日遺跡です。

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この朝日遺跡から見つかったのは、集落を囲む堀(環濠)です。 朝日遺跡の発見以前は、弥生時代と言うものは平和な農耕の時代というイメージだったようです。 しかし、この遺跡から環濠が掘られた跡や敵の侵入を防ぐ逆茂木などが見つかったことで、 どうやら平和ではなかったことがわかったんです! そう、弥生時代は争乱の時代だったことを証明した遺跡が、この朝日遺跡なんです!

そして、この時代には約1000人ほどの人が暮らす、 東海地方最大級の集落だったそうです。 そうなれば、単に神話に登場しないだけで、 この時代の日本を代表する勢力だった可能性が高そうですね。

伊勢湾沿いで発達した墓

また、朝日遺跡をはじめとするこの時代の東海地方から日本中に伝播した文化が存在します。 それが、弥生時代の墓・墳丘墓です。 古墳ではないので注意してくださいね。古墳はあくまで古墳時代の墓なので。

実は弥生時代にも、土で造られた墓が存在していました。 その墓を墳丘墓と言うのですが、様々な形があります。 そして古代日本で最も多く造られた墳丘墓が、 方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼです!

図①

出雲・日向時代の東海で誕生したこの墓は、 橿原時代や倭国大乱時代になると日本中で築かれましたが、 纏向時代になると古墳が取って代わるようになりました。
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少なくとも、日本中の地域に影響を与えるほどの大きな勢力が この地域にあったということは間違いありません!

まとめ

このページでの内容をまとめると、

といった具合です。

そんな独自の勢力圏を築いていた尾張地域は、 橿原時代になるとヤマト朝廷の影響下に入ることになります。

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