登呂遺跡といえば
教科書で学ぶ弥生遺跡でまず挙げられるのが、この登呂遺跡です。
では改めて、この登呂遺跡のなにがスゴイのかをおさらいしておきましょう!
登呂遺跡は弥生時代後期、このサイトでの橿原・倭国大乱時代に栄えた遺跡です。 そして日本で初めて弥生時代に稲作が行われていたことが確認された遺跡です。 そう、この遺跡がなければ弥生時代=稲作というイメージも成立せず、 このサイトも作成できなかった!という訳です。
ただ、登呂遺跡は近頃では教科書に書かれることが減っているみたいです。 なので、10代の皆さんは登呂遺跡について知らない人もいるかもしれませんね。
確かに考古学的に見れば、登呂遺跡の面積は狭い方ですし、 特徴的な文化圏という点でも、近畿や山陰には及びません。
しかし、この登呂遺跡、弥生時代末期には 東海地方、いや、東日本の盟主だった可能性が高いんです! もしかすると大陸とも貿易を行っていたのかも!
ただ、この時代に限定すれば情報が限られているので、 このページではここまでにしておきます。 次のページで、詳しく書いていきますね。