『古事記』と『日本書紀』

~難波神話+難波史~
①仁徳天皇

仁徳天皇の治世

即位した仁徳天皇が最初に行ったことは、都を内陸の大和(奈良)から、海上交易の拠点だった難波なにわ(大阪)に移すことでした。 仁徳天皇は父である応神天皇の事業も引き継いで、日本の国際的地位を向上させようとしたようです。 結果、難波には多くの水運や港が築かれ、国際交易として発展し始めます。 しかしある日、仁徳天皇は山に登って国土を見渡すと、煮炊きの煙が全く上っていないことに気づきます。 国際関係や土木事業を優先した結果、民は困窮していたのです。 民の食事を確保してもらうことを最優先にすべきと考えた天皇は、税を3年間免除することにしました。 税が入らないので宮殿も荒れ果ててしまいましたが、天皇は煮炊きの煙がたくさん上るまで待ち、ようやく税を再開します。 民はその治世を、聖帝ひじりのみかどの世と称えました。

図①

皇后の嫉妬

仁徳天皇の皇后は、大豪族・葛城氏の娘であり、嫉妬深い女性でした。 しかし、それに反して仁徳天皇は、かなりの女好きで有名でした。 神話では何度も皇后の目をかいくぐって女性に会いに行く天皇と、 それが判明するたびに怒る皇后が描かれています。 ある時は吉備(岡山)から妃となる女性を呼び寄せますが、皇后の嫉妬を恐れて女性は帰ってしまします。 天皇はあきらめきれなかったのか、自ら吉備に行き、姫を慰めています。 また、皇后が木国(和歌山)に出かけている間に、天皇は別の女性を妃にしてしまいます。 それを聞いた皇后は大いに怒り、都に帰らず筒木(京田辺)にこもってしまいます。 天皇は許しを請うために皇后の下に何度も通いました。

図②

しかし結局、皇后は都に帰ることはありませんでした。 本当に嫉妬深い皇后だったみたいですね。 そんな皇后と仁徳天皇の間には、4人の皇子がいました。 そして長男が次の天皇に即位するのですが、またしても皇族同士での内紛が起こってしまいます。

~神話紀行~

高津宮

高津宮

仁徳天皇が難波に遷都したことをたたえて、平安時代に創建された神社です。現在の境内は、都が置かれた当時の場所からは移設されています。 高津宮のホームページは こちら からどうぞ!

仁徳天皇陵

仁徳天皇陵

仁徳天皇が眠る陵墓です。日本で最も大きい前方後円墳で、世界遺産に登録されています。 仁徳天皇陵に関するページは こちら からどうぞ!

ヒシアゲ古墳

ヒシアゲ古墳

仁徳天皇の皇后・磐之姫いわのひめが眠る古墳で、奈良市に位置しています。全国で24番目の規模を誇ります。 ヒシアゲ古墳の位置は こちら(Google Map) からどうぞ!

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