ここって何がスゴいの?

~有名な弥生遺跡~
登呂遺跡

登呂遺跡が有名なワケと教科書から消えた理由

弥生時代を歴史の授業で学ぶとき、大人の方々は必ず覚えたのが、この登呂遺跡でしょう

登呂遺跡

しかし令和になってからは、歴史の教科書で書かれることが少なくなった遺跡でもあるんです。 その理由についても簡単に紹介していきますね。

ではまず、この遺跡の価値を簡潔に紹介すると、以下の通りです。

  1. 弥生時代に稲作が行われていたことが初めて判明した遺跡だから
  2. 弥生時代の集落の全体像が初めて判明した遺跡だから

要は、教科書で見るような弥生時代のイメージが定着したのは登呂遺跡のおかげという訳です。 日本史研究を語る上では大きなターニングポイントだったことでしょう。

では一方で、令和の教科書で書かれなくなった理由はと言うと、

  1. のちに発見された遺跡よりも規模が小さい
  2. 九州や近畿のように文化圏を形成していた証拠が少ないから

こう言っては何ですが、登呂遺跡は狭い。そして、周辺地域を従えていたという証拠も少ない。 要は小さな独立国家というイメージですかね。 時代の流れを知るのならば大きい勢力を優先的に学ぶべきなので、 登呂遺跡の優先順位は下がってしまった、という訳です。

こうして登呂遺跡は地味になりました~、で終わってもいいのですが、 遺跡や周辺地域についての情報を集めてみると、 登呂遺跡は『魏志倭人伝』に登場しているかもしれないことがわかったんです!

あくまで個人的な推測に過ぎないですが、可能性として十分に考えられる説です。

説:ここは邪馬台国の敵の都?

この登呂遺跡が位置しているのは、静岡県です。 静岡県は旧遠江国、旧駿河国、旧伊豆国から構成されている県ですが、 このエリアには「クノ」や「クヌ」と呼ばれる地名が各地に点在しています。

例えば、袋井市はかつて「久努くの/くぬ」と呼ばれる国があったと日本書紀に記されています。

他には、登呂遺跡からもほど近い場所に位置し、徳川家康を祀っていることで有名な神社が鎮座するのは「久能山くのうざん」で、 この周辺地域はかつて久努くぬと呼ばれていました。

これらの情報を考えれば、古代の静岡県の大部分は「くの/くぬ」と呼ばれる王国があったかもしれないですよね?

図①

そして、次に紹介したいのが、『魏志倭人伝』の記述です。

倭国には女王に従う30ほどの国が存在するが、男を王とする狗奴国は女王に属していない。

女王の使者は、邪馬台国が狗奴国との戦争状態であることを説明しに大陸へやってきた。

邪馬台国と敵対する「狗奴国」ですが、読み方については「くぬ」「くな」「こな」など諸説ありますが、 いずれにせよ、静岡県各地で見られる地名と似ていますよね?

静岡県に、邪馬台国と敵対する狗奴国があったとすれば、 その男王が住んだ都は、場所や規模を考えれば登呂遺跡が筆頭候補です!

図②

勿論この内容は、現段階では推測でしかありません。 ただ、地味な存在となってしまった登呂遺跡は、 地味で終わらせるには勿体ないほどの情報を持っている、凄い遺跡です! もう少し発掘調査が進めば、教科書に再び登場するかもしれませんね。 卑弥呼と戦った国の都、なんて書かれる日が来たりして~。

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