邪馬台国の最有力候補地
今回紹介するのは、邪馬台国の都だと噂されている遺跡、纏向遺跡です!
この遺跡の特徴をまとめると、
- 3世紀初頭(西暦200年ごろ)に突如現れた大都市遺跡
- 卑弥呼が生きていた時代の日本列島で、最も大きな弥生時代の遺跡
- 最古の前方後円墳・箸墓古墳が存在する、前方後円墳発祥の地でもある
- 出土品から、日本各地と交流があったことがわかっている
- しかし、4世紀中ごろ(西暦350年ごろ)に突如消滅
つまり纏向遺跡は、卑弥呼や魏志倭人伝に関係なく、当時の大都市遺構という貴重な古代遺跡です! しかも、古墳時代が始まった場所でもあり、日本史を語る上でも重要過ぎる場所です!
いずれにしても問題あり。。。
普通に考えれば、卑弥呼のいた時代で最も大きい都市だから、ここが邪馬台国じゃね?という訳ですが、 『魏志倭人伝』から見ても『古事記』・『日本書紀』から見ても、違和感がいくつか存在する遺跡でもあるんです。
まず、『魏志倭人伝』では、邪馬台国には鉄器が多いことや、魏の使いから銅鏡が送られたことが書かれています。 しかし、纏向遺跡からは鉄器も、魏の銅鏡もほとんど出土していません。 他にも、大陸から邪馬台国の都までの距離についても、九州までで大半を浪費しているのだそう。 つまりどう頑張っても奈良盆地にたどり着けないという訳です。
ただ、出土品については、纏向遺跡は発掘調査が行われているのが全体の2%ほどなので、まだ邪馬台国ではないと断定するのは早いですし、 距離についても、3世紀の距離感が絶対的に正しいという訳でもないので、まだまだ「かもしれない」という状態ですね。
一方、『古事記』・『日本書紀』では、初期の天皇が「巻向」という名が付く地域を都にしています!
その場所が、現在の纏向遺跡内だとされているんです!
更に、卑弥呼の墓とされている「箸墓古墳」も纏向遺跡内部に位置していますし、
古墳の埋葬者も「巻向」に都を置いた天皇の巫女的存在だった「モモソ姫」という、情報の揃いっぷりが凄いんです。
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更には、古墳の造られた時期も、卑弥呼の時代と重なっていることも考えれば、 「邪馬台国=ヤマト朝廷」であり、「卑弥呼=皇族の巫女」という考えになるんです!
しかし!『古事記』・『日本書紀』で、巻向に都が置かれた時期は、紀元前1世紀~紀元後1世紀頃と書かれています。 あれ?という話ですよね。そう、『古事記』・『日本書紀』においても違和感が存在するんです。
この点に関しては、奈良時代の編纂の際に、国の歴史を長く見せるために古代の天皇たちを無理やり長生きにしたということなので、 あまり大きな問題ではないのかもしれませんが、それでも纏向遺跡と邪馬台国を結び付ける根拠にはならないという訳です。
要するに、纏向遺跡は邪馬台国との関係性から注目はされるものの、邪馬台国に関係なく、日本史を語る上で重要な遺跡に変わりないという事です。 そして今後の発掘調査で、日本史を揺るがす発見が起こり得る、最も可能性の高い遺跡でもあるんです。 その日が来るのは、案外すぐかもしれませんね。
