神話から見るリアルな古代史 このサイトでの基準と時代区分

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基準①:日本神話の出来事は、ある程度は本当の出来事

日本神話に書いている内容は年代にズレはありますが、ある程度は事実だと考えて 古代史を考えていきます。

基準②:出雲神話と日向神話は同時期で、時代は紀元前1世紀前後

 出雲神話と日向神話ですが、『古事記』と『日本書紀』では順番に書かれていますが、 どうも同時期の出来事ではないかと言われています。 まず、スサノオの孫の孫の子がオオクニヌシで、アマテラスの孫の孫の子が神武天皇です。 なんだかオオクニヌシと神武天皇が同じ時期に生きていたように思えてきませんか? 他にも、神武天皇はオオクニヌシの孫と結婚していたり、 各地の神社の由来・伝承でもオオクニヌシと神武天皇に関する人物が同じ時期に登場していたりと、 証拠が結構出て来るんです。 という訳で、このサイトでは出雲神話と日向神話は同時期のものと考えます。
 そしてこの出雲・日向の時代は具体的にいつ頃か、そのヒントとなるのが出雲から出土した青銅器です。 オオクニヌシの別名は「八千矛神やちほこのかみ」といって、宝をいっぱい持っている神という意味です。 そして日本で最も青銅器が見つかっているのが出雲地域で、製造されたのは紀元前1世紀前後とされています。 という訳で、出雲と日向での神話の出来事は、紀元前1世紀前後だろうと推定します。

基準③:卑弥呼=モモソ姫で、時代は3世紀前半

 前ページでは約330年のズレがあった日本神話と古代史ですが、それをギュッとします。 日本神話での出来事が3世紀の出来事だと考えます。 卑弥呼の正体が諸説あることは承知していますが、ややこしくなるのでこのサイトでは卑弥呼=モモソ姫で統一します。

基準④:仁徳天皇は5世紀中ごろに亡くなり、大仙古墳に埋葬された

 前ページでは約50年のズレがあった日本神話と古代史ですが、これもギュッとして 仁徳天皇が亡くなったのは5世紀中ごろの450年頃だと考えます。

時代区分

よく博物館や本で「弥生時代前期」とか、「古墳時代中頃」といった言葉を目にしませんか? 作成者・キラクはこの表記、難しいと感じるんです。いつ頃なのかさっぱりわからなくないですか? そこで作成者・キラクは、飛鳥時代以降のように、その時代の中心地の名前+時代という表記で 弥生時代と古墳時代を表してみることにします。 こっちの方がわかりづらいと感じた方は無視してくださいね(笑)

出雲・日向時代 前200年頃~50年頃 出雲神話と日向神話で書かれた時代。青銅器が多く出土していたり、 日本全国で大規模集落が発達していた時期です。 弥生時代中期に当たります。
橿原時代 50年頃~150年頃 神武天皇が即位した橿原周辺での時代。まだ統一王朝でもなく、 天皇家はあくまでも奈良盆地の一勢力でした。 弥生時代後期前半に当たります。
倭国大乱時代 150年頃~200年頃 『魏志倭人伝』などに登場する大乱。中国での大乱とは王朝の交代を意味するらしいので、 天皇家は奈良の地を追われたのかも。だとしたら邪馬台国九州説も間違いではないかも。 弥生時代後期後半に当たります。
纏向時代 200年頃~350年頃 纏向遺跡が栄えた時代で、その時代に3人の天皇が宮を置いていました。 この時代にモモソ姫が活躍し、そして前方後円墳が誕生しました。 弥生時代終末期と古墳時代前期に当たります。
難波・桜井時代 350年頃~593年 纏向遺跡が消滅した後、奈良と大阪で都が行き来する時代になります。 この時代、特に400年代は大規模古墳が多く築かれました。 古墳時代中期から後期に当たります。

この4つの基準と時代区分をベースとして、「神話から見るリアルな古代史」を書いていきます。

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