ちょこっと神話に登場する古代近江
滋賀こと、近江が古事記に登場するのは、イザナギとイザナミの頃、 『古事記』や『日本書紀』の中でもかなり初期にあたります。
イザナミの死後に、イザナギはアマテラス達に国を任せて多賀に隠居したという内容です。
その多賀というのが、滋賀県多賀町にある多賀大社です!

そう、この時代に該当すると思われる話はこれだけ!
(ヤマトタケルや羽衣伝説などは、これ以後の時代と著者は考えています)
これだけだと、この時代(出雲・日向時代/弥生時代中期)に近江がどうだったのかを
想像するのはかなり難しいですよね。
少なくとも、イザナギが隠居先に選んだのだから、
何らかの勢力は存在していそうですが。
代表的な遺跡
先ほど紹介した多賀大社ですが、残念ながら多賀町からは大規模な弥生遺跡が、まだ発見されていません。 という訳で、代わりに多賀町以外で代表的な弥生遺跡を見ていきましょう!
まず紹介するのが、3重の濠(堀)に囲まれた環濠集落が見つかっている、守山市の下之郷遺跡です。 この遺跡は全国でも屈指の大きさを誇る集落跡で、 特徴的なのが、高床倉庫跡などは見つかっていますが、竪穴住居跡が見つかっていない点です。 つまり、かなり高度な都市として機能していた可能性が高いみたいです。
ほかにも滋賀県には、大中の湖南遺跡や服部遺跡などから、弥生時代初期の水田跡が発見されていることからも、 かなりの人口を擁する地域だったと考えても違和感がなさそうです。
しかし、この時代のことを書いたと思われる出雲神話と日向神話に、近江はほとんど登場しません。

「なぜイザナギは隠居場所に多賀を選んだの?」
「結構な人口が居たと思われる近江には、どんな勢力がいた?」
これらの疑問は現時点では想像することも難しいです。 しかし、これは逆に、この時代の近江は妄想し放題と言う訳です! 滋賀県の方々、チャンスですよ!
そして、奈良で神武天皇が即位すると、 滋賀を治めるようになるのは、古代日本を代表する、あの一族です。