出雲神話にちょこっと登場する古代美濃
現在の岐阜県は、交通網が発達して平野が多い美濃地域に人口が集中していますよね? その特徴は、古代からも見られたようです。
美濃地域には、この時代(出雲・日向時代/弥生時代中期)の遺跡だと、 荒尾南遺跡や岩田東A遺跡といった遺跡が見つかっています。 とくに荒尾南遺跡は東海地方でも最大級の規模を誇ります。 遺跡内の墓だけでも228基、土器に至っては約350万個も出土しています。

こんな大規模な遺跡を擁する古代美濃ですが、 この地域は出雲神話にちょこっと登場する地域でもあります!
では、その肝心の美濃がちょこっと登場する出雲神話について簡単に紹介しましょう!
出雲のオオクニヌシが日本を支配していたころ、 天上の世界(高天原)を支配するアマテラスは危機感を持っていました。 「あの国は私の子供たちの国なのに」と。 そこで、国を譲ってもらおうと使者を派遣します。 その一人、天若日子は出雲に降り立つと、 自らがこの国の王になろうとして、アマテラスの命を無視してしまいます。 天上の神々は8年間もの間、連絡をよこさないアメノワカヒコがもしかすると邪心があるのではと疑い、 地上に向けて神力を込めた矢を放ちました。邪心があればアメノワカヒコに当たるという仕組みです。 すると、アメノワカヒコは案の定、その矢に当たって〇んでしまいます。

彼の葬儀には天上から両親も駆けつけますが、その会場にはアメノワカヒコそっくりの男がいました。 両親は亡くなったアメノワカヒコと勘違いすると、間違えられた神様は穢れた死人に間違えられたとして大いに怒り、 アメノワカヒコの喪屋を斬って、蹴とばしてしまいます。 そのまま飛んで行った喪屋は、美濃まで飛んでいき、喪山と呼ばれるようになりました。

ひとまずこの神話の意味を考えるのは置いといて、神話ゆかりの場所を紹介しましょう。
蹴り飛ばされた喪屋というのが、現在の美濃市にある喪山天神社の裏山とされています。 ただ、この写真が見つけられなかったので、代わりに喪山天神社が属する大矢田神社の写真を掲載しておきますね。

古代美濃は、大規模遺跡が見つかっていることからも、 かなりの人口がいたと想像されるだけでなく、 出雲神話にもちょこっと登場し、その神話に関する神社も現地に残っています。
遺跡と神話を結びつけられるような決定的な証拠はありませんが、 このサイトでは、「出雲と繋がる古代美濃」として紹介させていただきました。 そして実は、出雲との関わりがあったと断定できるのは、次の時代の出来事なんです。 そう、次の時代になるので、このページで紹介できるのはここまでです。 中途半端でごめんなさい、、。