神話から見るリアルな古代史 アマテラス一族の古代出雲王国

アマテラス一族の出雲支配

神話では国譲りの後に出雲を支配することになるのは、 アマテラスの息子で、国譲りの際に最初の使者として派遣されたアメノホヒです。 アメノホヒは国譲りのあと、高天原からオオクニヌシに仕えるように 改めて命令され、出雲大社の神事を行うようになります。

といった感じで、支配者は変わりましたが、山陰各地の集落遺跡は この時期を境に滅んだ様子や、新たに形成されたといった様子はありません。 どうやら、強制移住などは行われず、 住民にとっては本当に統治する一族が変わっただけ!という感じみたいです。 しかし、この時代にはスサノオ一族の時代では見られなかったものが築かれ始めます!

巨大墳丘墓の登場!

アマテラス一族であるアメノホヒが出雲を支配し始めたころ、 出雲では巨大な墳丘墓が築かれ始めます! 墳丘墓とは、弥生時代の古墳です。古墳だと時代的にややこしいので墳丘墓と呼ばれています。 要するに古墳時代よりも古い古墳ってところです。 そんな墳丘墓は日本中で造られたのですが、 山陰地方では「四隅突出型よすみとっしゅつがた墳丘墓」と呼ばれる形状の墳丘墓が発達しました!

こんな墓が本当にあるの?そう思われたかと思いますが、あるんです!

出雲市の西谷墳墓群

鳥取県の妻木晩田遺跡内の墳丘墓

まるで日本じゃないみた~い!って思いました?
そう思ってもらえれば、いいな~。

なぜこんな墓が築かれるようになったのかですが、理由はもちろんわかっていません。 ただ、前方後円墳は権力の誇示を目的としていることから、 墳丘墓も目的は権力の誇示と考えてもいいでしょう。 スサノオ一族から取って代わった勢力が、領内向けに権力の誇示を行ったのか、 群雄割拠の時代なので他国への権力の誇示なのか、 もしくはその両方か。 いずれにせよ、出雲にはまだまだ大きな権力があったことを伺わせますよね~。

支配者が変わることは考えられるのか

ただ、このように支配者が都合よく変わるものなのか? という疑問を持たれてもおかしくはないですよね。 実はこういう事例って、他の時代でも行われていることなんですよね。 それが、戦国・安土桃山時代です。 侵略した土地を部下に与え、支配させる手法を戦国大名は取ってますよね。 このことを考えれば、支配者が交代して、 自分の力を誇示するために大きな土木工事を行っていた、 という流れも想定し得ることという訳です。

そして戦国・安土桃山時代と大きく異なるのが、 アメノホヒの子孫たちは、本家に当たる天皇家には従わずに、 独自の王国として発展させてしまう事です。 挙句の果てには、お隣の吉備国(岡山)と同盟を組むことになります。 それが発端かどうかはわかりませんが、その頃に日本は倭国大乱に突入することになります。

そんな感じで、集落などは変わらないものの、支配者や同盟を組む地域が激変したのが、 この時代です。西暦でいうと50年頃から150年頃の話です。 文化財からわかる情報量は少ないですが、約100年分の歴史が墳丘墓には詰まっています!

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