纏向最初の天皇
第9代天皇の2男として生まれた第10代・崇神天皇は、若くして父の跡を継ぐと、 纏向の地に遷都しました。しかし数年も経たない間に、国中に疫病が流行し始め、国家の危機を迎えます。 崇神天皇は神の声を聴こうと清めた寝床で眠ると、オオモノヌシが現れ、 疫病は自分が起こしたが、自分の末裔が祀ってくれるなら、祟りを止めると語りました。 崇神天皇は早速、オオモノヌシの末裔を纏向に招集し、祀らせました。 更には念には念を入れるため、自然の神々すべてを社で祀ったところ、疫病は収まり、平穏が戻りました。

反乱平定と諸国平定
疫病を収めた崇神天皇は、次に朝廷の平穏をつかむべく、諸国平定に乗り出します。 しかし、そのゴタゴタに乗じて、崇神天皇の叔父が反乱を画策し始めていました。 崇神天皇は将軍たちを諸国に向かわせる前に、叔父の反乱を鎮めるよう命じ、将軍は見事に反乱軍を討ち滅ぼしました。 そして計画通り、崇神天皇は将軍を東海、北陸、丹波に派遣し、各地の豪族を従えていきました。 また、崇神天皇は各地を平定させるだけでなく、初めての徴税制度も開始し、国の基盤を順調に整えていきました。

~神話紀行~

磯城瑞籬宮伝承地
奈良県桜井市にある、崇神天皇の宮が置かれたと伝わる場所です。現在は志貴御縣坐神社の境内になっています。 この神社の位置は こちら(Google Map) からどうぞ!

箸墓古墳
奈良県桜井市にある、纏向エリアで最も古い古墳で、 卑弥呼だとされることが多いモモソ姫が眠るとされています。 この古墳の位置は こちら(Google Map) からどうぞ!

西殿塚古墳
奈良県天理市にある、纏向エリアで箸墓古墳の次に築造され、 崇神天皇の陵だと考える研究者も一定数いる古墳です。 この古墳の位置は こちら(Google Map) からどうぞ!