『古事記』と『日本書紀』 不幸な垂仁天皇

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皇后の兄、野心あり

纏向二人目の天皇、垂仁天皇の皇后には兄が居ました。 その兄は皇后に、天皇を〇すように命じます。 兄妹で国を支配しようとしたのです。 しかし、優しい皇后は実行に移せず、天皇に全てを打ち明けます。 天皇は反乱を収めようとして義兄の城に向けて軍勢を派遣すると、 皇后は兄を心配して兄の城に駆け込んでしまいます。 そしてその城で、天皇の子供を出産します。 皇后は、その皇子だけは助けてほしいと天皇に頼み、 兄と共に燃える城の中で命を落とします。

図①

めっちゃ頑張る垂仁天皇

皇后を亡くした天皇は、残された皇子を育てながら多くの政務を行います。 干拓事業を多く行って農地を増やしたり、天皇の直轄地である屯倉みやけを初めて設置したり、 人型埴輪を初めて作らせたりと、業績がめちゃくちゃあります。 中でも、最も大きな業績が、伊勢神宮を現在地に移させたことでしょう。 ただ、皇子は大きく成長しても、言葉を発しませんでした。 それを憂いていると、ある夜、夢に出雲のオオクニヌシが現れます。 「私の宮殿を立派にしてほしい。そうすれば皇子は言葉を話すようになる」 天皇はすぐに皇子を連れて出雲に向かいました。 そして参拝を終えると、皇子は初めて言葉を発します。 それに感謝して天皇は出雲大社を立派な神殿に建て替えさせました。

図②

届かない橘

ある日、天皇は遠い国にあるという、橘の実を持って帰ってくように部下に命じます。 橘は今でいうミカンで、当時は日本になく、不老不死の実と考えられていたようです。 部下の一人がその役目を引き受け、苦労の末に橘を手に入れ、意気揚々と帰国します。 しかし、既に天皇は亡くなっていました。 橘の実を手にしたその部下は、天皇の古墳の前で嘆き、そのまま亡くなってしまいます。

図③

最後まで、どこか不幸さ、悲しみが付きまとう垂仁天皇でした。

~神話紀行~

磯城瑞籬宮

纒向珠城宮まきむくのたまきのみや伝承地

奈良県桜井市にある、垂仁天皇の宮が置かれたと伝わる場所です。 この石碑の位置は こちら(Google Map) からどうぞ!

伊勢神宮内宮

伊勢神宮内宮

垂仁天皇の時代、彼の娘で巫女のヤマトヒメが、現在地にアマテラスを祀る社を移したとされています。それが現在の伊勢神宮内宮です。 伊勢神宮のホームページは こちら からどうぞ!

行燈山古墳

行燈山古墳

築造された時期や場所、橘を持ち帰った部下の墓が近くにあるという伝承から判断した、作成者が考える垂仁天皇の墓です! 正しいかどうかは知りませんけど(笑)。 この古墳の位置は こちら(Google Map) からどうぞ!

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