『古事記』と『日本書紀』 ヤマトタケル、西へ

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皇子に怖がる天皇

纏向三人目の天皇は、前天皇の長男(しゃべれなかった皇子)ではなく、弟が継ぐことになります。 おそらく、長男の母親の一族が反乱を起こしたことなどが理由で皇位を継げなかったのでしょう。 そんな感じで、第12代・景行天皇が即位します。 そんな景行天皇と彼の皇后の間に生まれた兄弟の弟が、ある事件を起こします。 その弟・オウスは父の命令を勘違いして、兄を〇してしまいます。 オウスとしては父の命令に従っただけですが、父・景行天皇からすれば恐怖しかありません。 そこで景行天皇は我が子を遠ざけるために、九州に遠征に行かせます。 「朝廷に従わない熊襲建くまそたけるを討伐しろ」 というのは表向きで、オウスには失敗して亡くなってしまってもいいと考えていました。

図①

熊襲討伐

道なき道を進んでクマソタケルの国についたオウスは、 宴の日を討伐決行日にしました。 そして宴の日、オウスは女装してクマソタケルに近づくと、 美形なので気に入られ、隣に座るよう促されます。 そして宴が終わる頃に、オウスは立ち上がった勢いそのままに隠していた剣を抜き、クマソタケルに斬りかかります。 クマソタケルは弱りながら、斬りかかった者の名を聞くと、纏向の皇子・オウスと言うので、 私の名を献上するので許してほしいと頼みます。 しかしオウスは、父の命令を果たすために容赦せず、クマソタケルを斬り〇しました。 ただ、名前は頂いておこうということで、ヤマトタケルと名乗り始めることになります。

図②

ついでに出雲も

目的を果たしたオウス改めヤマトタケルは、その足で出雲の出雲建も討伐しようとします。 今度は作戦を変えて、出雲建と仲良くなります。 そしてある日、お互いの太刀を交換して太刀合わせがしたいと出雲建に申し出ます。 出雲建は仲良しなヤマトタケルとだったらといいと言って、さっそく交換します。 しかし出雲建が手にしていたのは木刀でした。 訳が分からず動揺していると、ヤマトタケルに斬りかかられ、亡くなってしまいます。 こうして、ヤマトタケルは大和に従わない勢力を次々に倒して、意気揚々と大和・纏向に帰るのでした。

図③

~神話紀行~

熊襲の穴

熊襲の穴

クマソタケルが宴会を開き、オウスに〇されたと伝わる場所です。 熊襲の穴に関するページは こちら からどうぞ!

斐伊川

斐伊川

出雲建とヤマトタケルが太刀合わせを行ったのが、斐伊川の沿岸だったと書かれています。古くは上流に八岐大蛇が住んでいたとされる川です。 斐伊川に関するページは こちら からどうぞ!

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