『古事記』と『日本書紀』 神功皇后の三韓征伐

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ヤマトタケルの家系

纏向から遷都した第12代・景行天皇が崩御すると、ヤマトタケルの弟が第13代・成務天皇として即しますが、 世継ぎに恵まれないまま崩御してしまいます。 跡を継ぐことになったのは、ヤマトタケルの息子である第14代・仲哀天皇でした。 家系で見れば、ヤマトタケルは現在の天皇家の先祖でもあるんです。

お告げ

ヤマトタケルの息子である仲哀天皇ですが、父が平定したはずの熊襲が反乱を起こしたと聞き、 自らも前線に赴こうと九州に向かいます。 九州の離宮で滞在していると、皇后に神が降臨し、熊襲ではなく金銀が豊富な朝鮮を服従させよとお告げをします。 しかし、何を思ったのか仲哀天皇は、そのお告げを偽りだと思って無視してしまいます。 するとその神様は、この国はお前が治めるべきではないとして、仲哀天皇を呪い〇してしまいます。

図①

皇后の三韓征伐

神が降臨した皇后は、その神のお告げに従い、朝鮮を服従させることにしました。その皇后が、神功じんぐう皇后です。 この時、神功皇后は仲哀天皇との子供を身ごもっていましたが、 神のお告げを優先して、男装して軍を率いて朝鮮を目指します。 神の後押しもあり、神功皇后は新羅国と百済国を従えることに成功します。 そして、子供が産まれそうになりながらも、お腹に石を巻いて出産を何とか遅らせながら帰国します。 そして帰国後、神功皇后は無事に皇子を出産しました。

図②

ちなみにタイトルにしている三韓とは、当時の朝鮮半島南部を意味する言葉だそうです。 また、この三韓征伐の内容ですが、本当に朝鮮を従えたのかでしょうか。 疑う研究者も多いですが、朝鮮の歴史書や石碑には4世紀に倭国が何度も攻めてきたと書かれています。 この「何度も」というのがミソですね。一度は従えた時期があったのかもしれません。

~神話紀行~

香椎宮

香椎宮

仲哀天皇と神功皇后が滞在していた離宮跡に建つ、福岡市の神社です。 香椎宮のホームページは こちら からどうぞ!

住吉大社

住吉大社

仲哀天皇を呪い〇してしまった神様である住吉三神を祀る神社です。本来は交通安全や船の安全を見守る優しい神様です。 住吉大社に関するページは こちら からどうぞ!

宇美八幡宮

宇美八幡宮

仲哀天皇の皇后が、帰国後に皇子を産んだ場所に建てられた、福岡市の南に位置する宇美町の神社です。 宇美八幡宮に関するページは こちら からどうぞ!

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