神話から見るリアルな古代史 倭国大乱と卑弥呼

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倭国大乱

 中国では三国時代となり、朝鮮でも韓族が独立を図っていた動乱の時代、 『魏志倭人伝』によると、日本(倭)でも倭国大乱と呼ばれる大きな戦争が発生していました。 それを物語るように、鳥取県の青谷上寺地遺跡からは戦闘の跡と思われる大量の人骨が発見されています。 他にも、戦闘を意識してか丘や山頂に集落を、ふもとには環濠(掘)を設けた跡も日本各地の遺跡から見つかっている。 その倭国大乱を鎮めて、連合国家の王になったとされるのが、 卑弥呼です。

卑弥呼

 卑弥呼を女王とする邪馬台国は、魏に使者を派遣します。 これは、東アジア情勢の不安定さや敵対勢力に対して優位に立つためだと考えられています。 239年に、卑弥呼は魏の皇帝から「親魏倭王」の称号と印綬や銅鏡などを与えられました。
 卑弥呼は呪力をもつ司祭者で、弟が政治を助けていました。 さらに女王の国では身分制度がはっきりしており、 法の秩序があり、租税が納められ、交易も活発に行われていました。
 卑弥呼が亡くなったあと男王が継ぎましたが、政治が安定しなかったので、 台与(とよ/壱与(いよ)と書くことも)という13歳の少女を女王にたてると政治は安定しました。

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