「空白の4世紀」とは?
古代史を学ぶと必ず出会うロマンの塊、それが空白の4世紀です。 空白の4世紀とは、邪馬台国のトヨ以降、「倭の五王」以前の期間は日本国外の歴史書に日本が登場しない時代です。 つまり、日本の歴史書に書かれた内容が正しいかを判断できる国外の史料がない時代という訳です。 具体的にどの期間かというと、
- 266年 倭の女王が西晋に朝貢する(時代的にトヨと思われる)
- 413年 倭国王が東晋に使者を派遣(名前が書かれていないので誰かは不明)
の間、147年間の空白期間を指します。 実際には100年以上あるんですね~。

さて、このページではこの147年間に日本で何があったのかを、 文化財と日本神話を見比べながら考察していきます!
4世紀に関連するもの
では最初に、4世紀の文化財や4世紀に造られたものなど、4世紀に関するものを列挙していきます。
- 日本全国で前方後円墳が建造され始める
- 纏向遺跡が突然消滅する
- だ龍鏡や蛇行剣が出土した奈良市の富雄丸山古墳が建造される
- 世界遺産の宗像・沖ノ島で航海安全を目的とした国家的な祭祀が始まる
- 369年に百済国から七支刀が献上される
- 中国に残る高句麗王国の石碑・広開土王碑には、侵略に来た倭国を400年に撃退したと記されている
- 日本全国の前方後円墳が巨大化
逆にこれくらいしか4世紀に関する情報はないんです。少ないですよね~。 この情報の中で、今回は以下の4つに注目してみました。

これらの情報から、空白の4世紀がどんな時代かを大まかにまとめると
- ヤマト朝廷による日本統治が進んだ時代
- 国家を挙げて朝鮮半島に出兵していた時代
という時代だと言えるでしょう。
4世紀に該当する日本神話は?
では次に、先ほどまとめた二つのまとめとリンクする神話を見てみましょう!
「1.ヤマト朝廷による日本統治が進んだ時代」に当てはまると思われる神話は、主に2つあります。 1つ目が、第10代・崇神天皇の将軍派遣。2つ目が、ヤマトタケルの遠征です。 日本神話での時代は、第10代・崇神天皇の治世は紀元前1世紀で、 ヤマトタケルは第12代・景行天皇の治世である1~2世紀にかけて活躍したと書かれています。 時代が合わないですが、これは国家をあげての年齢詐称があるので、ここは考古学から考えましょう。 彼らは纏向遺跡に都を置いていた天皇たちです! つまり、纏向遺跡が存在した西暦200年ごろ~西暦350年ごろの出来事だと考えられます!
纏向遺跡を作り上げた最初の天皇である10代・崇神天皇は各地に将軍を派遣しています。 その4つの地域が吉備(岡山)、丹波(京都北部)、東海、北陸です。 一方のヤマトタケルが遠征を行った場所は熊襲(九州南部)、出雲、東海(静岡~茨城)です。

以上の内容から、
纏向遺跡に都があった時代(西暦200年ごろ~西暦350年ごろ)、
天皇たちは将軍を各地に派遣して、版図を広げていた
という訳です!事実、神話で平定された地域は全国的にも早い時期に前方後円墳が築かれています。
そう考えれば纏向遺跡は、かなり強大な武力を誇った都市だったのかもしれませんね~
ここまでが空白の4世紀のだいたい半分です。そして突然、纏向遺跡が消滅するのですが、 『古事記』と『日本書紀』では第12代・景行天皇は纏向から遷都しています。 だとすれば、纏向が消滅したのも説明出来ますよね~
そして、『古事記』と『日本書紀』で次に書かれている大きな出来事が、 第14代天皇の皇后・神功皇后による 朝鮮出兵なんです! そう、「2.国家を挙げて朝鮮半島に出兵していた時代」と内容が一致しているんです! その内容というのが、 神功皇后が軍勢を率いて朝鮮に遠征し、その結果、新羅と百済を降伏させています。 つまり、国家的に海を越える必要があったから、宗像・沖ノ島で国家的な祭祀が始まったと考えられます。 そして、朝鮮を従えたからこそ、百済から七支刀が送られた、という流れが見えてくる訳です! 七支刀に書かれた年代(西暦369年)から考えれば、この出来事はだいたい西暦360年代後半と考えられます。 その後、神功皇后は息子を天皇に即位させています。その息子が、 第15代・応神天皇です。彼も何度も朝鮮に攻めたことが神話で書かれています。 それを裏付けるように、朝鮮側の史料でも複数回にもなる倭国侵略が記録されています。
しかし、西暦400年にヤマト朝廷は高句麗に敗北しています。
このことは日本神話では書かれていませんが、
どうも朝鮮を制圧し続けることは出来なかったようです。
だからこそ後ろ盾や権威を求めて、中国に使者を派遣したと考えられるわけです。
そんな感じで、
神話でもヤマト朝廷は朝鮮に遠征していた
という訳です!そう、年代のズレさえ意識して修正すれば、思っている以上に日本神話は役に立つんです!
まとめ
以上の内容から、空白の4世紀とは、
- 前半は国内を平定していった時代
- 後半は朝鮮に侵攻していた時代。ただ、朝鮮を制圧し続けることは出来なかったので、中国の後ろ盾や権威を求めて使者を派遣したことで空白の時代ではなくなる

と言える訳ですね。
ちなみにですが、このページのボタンにしている写真は、兵庫県の「五色塚古墳」です。
4世紀末に建造された古墳で、建造当時の姿が復元されています。
神話では、神功皇后に反抗した皇族が要塞として建てたと書かれています。
そう、実は古墳は要塞としても利用されていたと書かれているんです!
しかも戦いの中身は皇族の内乱。
となれば、空白の4世紀は国内外でかなり戦闘が多かった時代だったようです。
だからこそ、古墳に蛇行剣といった武器を象徴する埋葬品を治めるような文化が存在し、
武力を見せつけるために古墳が巨大化したのかもしれませんね~
そして、空白の4世紀に該当する神話の物語は、だいたいですが 「第10代・崇神天皇もしくは第11代・垂仁天皇」から「第15代・応神天皇」に該当すると考えられます。 国内のみならず朝鮮半島まで版図を拡大しようとしたヤマト朝廷の野心を見て取れる時代が、 「空白の4世紀」という訳です。